55歳、無職でも生きねばならないのか…

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今月、とうとう55歳になってしまいます。

現状、なんと後悔だらけの人生だろう…

同じように苦しんでいる50代以上の人に居るかもと思い記録を記したいと思います。

今、現在は無職で今月は手術入院と…なんでこうなってしまったのかと呪わずにはいられない日々を過ごしています。

ブログ記事の作成で経済的自立を目指したいのですが今現在、人生の試練に立ち向かっています。

コロナ禍が私の人生に大きな影響を与えました。以前勤めていた会社は倒産し、新しい仕事を見つける過程で契約が何度も切られ、現在は無職として生活しています。そして、今月は健康の問題に直面し、手術と入院を経験しなければならなくなりました。よくもまあこれだけ最悪なことが重なってしまい現状立ち止まっています。

2020年のあの日から時計の針が止まったまま……

20歳でとある広告代理店に入社させていただきました。そこは新聞、雑誌広告など大手広告代理店から仕事を請け負い毎日24時間稼働していたのでグループ毎にローテンションを組んでいつでも新聞紙面に載る作成物を写植を打ち版下を作成し製版して代理店に納品する毎日でそこの制作部門、版下(フィニッシャー)をしていました。しかし時代と共に手作業は無くなってデジタル化の波が押し寄せるとともにDTP(Desktop Publishing)という職業に移っていきました。そこからはMacintoshでAdobe Illustratorによる広告制作になっていきましたがデザイナーより作成されたデータを新聞雑誌の媒体ごとに適性なデータを作成するオペレーターという製版仕事になりました。時代の波と共に紙媒体での仕事がメインのため徐々に仕事は減少し出版不況も重なりそこに来てのコロナ発生により会社としてとどめを刺されてしまいました。この時、53歳で長年勤めていた会社から初めて世間に放り出されて厳しさを肌で感じなんと自分は井の中の蛙であったかを実感した次第でした。

なにも知らない50過ぎの人生詰んだ先には……

会社がなくなり、まず区役所に国民健康保険の申請と年金の手続き、所得が当分無いという事で控除のお願いに行きました。しかし保険料は昨年の収入に対してから算出するものなのでこれ以上は下がりませんと結構な額を請求され退職金で貰った金額で当分はゆっくり出来るかと思っていたのが大間違いでした。ハローワークにもネットで閲覧できるように登録しに行ったのですがなんと人の多い事、コロナ禍で職を失った人たちの多さに言葉を失いそこで半日以上潰してやっと手続きが終わり失業保険も受け取れる様になりました。しかし年齢的に今迄のスキルでは再就職は難しということで新たなスキルを身に着ける事が出来る職業訓練校を紹介されました。年齢的にパソコンなどは若年層がターゲットのためこの年齢で当てがわれるのは福祉や警備、常に人手不足の業界で福祉の学校に通い取り敢えずの就職を目指しました。次の年の春から学校に行き介護福祉士初任者研修を取得して就活を夏に始め福祉の会社に拾っていただきました。しかし私は就職が目的になっていてその先、どういう仕事でこの先を生きていくというビジョンが全くなかったんですね、わずか3か月で現場のキツさから退職を余儀なくされます。次に受けたのが工場の組立作業員です。コロナ禍で使い捨てニーズの高まりにより海外国内とどまらず需要が増えプラスティック製品を作る大型機械ユニットの組立作業員として未経験ながらも拾っていただきました。しかしコロナが収まるとともに仕事の需要が激減し仕事の受注が減るとともに契約で雇用されていた人間は必要なくなり契約更新しないと又、無職になってしまいました。そして身体にも異常が出てきて今月手術、入院するはこびとなっている現状です。登録していた求人のコンサルも流石に健康でないと職は紹介できないと治ったら紹介しますと断られてしまいました。

長年、生きていれば色々あるのでしょうがこれ以上落ちないと思っていても中々、底が見えない日々を過ごさざる得ないのでくじけそうになっています。しかし私は希望を持ち、前向きな考えを持ち続けようとはしています。この経験を通じて、強さと適応力を発見し困難な状況に立ち向かい、逆境を乗り越える力を持っていこうと考えています。

新しい仕事への道はまだ見えませんが、私は前向きに、そして信念を持って進みます。一歩ずつ、一日ずつ、新しい可能性を探求し、未来に向けて努力し続けます。私のブログを読んでくださる皆さんにとって、希望とポジティブなエネルギーを共有できることを楽しみにしています。

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